きんちゃん、ありがとう

1月16日は祖母の葬儀でした。99歳で大往生し天国へと旅立ちました。


祖母の名前は「きん」といいます。

小さい時はこの名前が嫌だったなぁ、と話してくれた事がありました。近所にお金持ちの人がいてお金にあやかって、「きん」と名付けられたそうです(笑)


祖母はみんなにきんちゃん、きんちゃんと呼ばれて親しまれていました。孫の私も、いつの頃からか「ばあちゃん」ではなくきんちゃんと呼ぶようになりました。


きんちゃんは私が小さい頃は近所に住んでいて、私達三人兄妹の面倒をよくみてくれました。


母が仕事でいない時には、食事を作ってくれました。きかんぼうな妹には手を焼いていました。


私が五歳の時、事故で1ヶ月入院した時には、ケンカしながらもずっと付き添ってくれました。


祖母はちょっと不良で、タバコを吸ったりお酒を飲んだり、バスでパチンコにも行ったりしていました。よく妹を連れてパチンコに行っていたようです。私や兄が小学生の頃には花札を教えてくれて、三人でよく夜更かししていました(^^;


きんちゃんは1人暮らしをしていましが、65才時に、叔父家族と住む事になり

守谷市に引っ越してしまいました。


その後はこちらにもちょくちょく泊まりに来ていましたが、それも80歳くらいまでで、泊まりに来る事は体力的にも難しくなりました。

水戸から守谷市まではそれほど遠くはないのですが、私も大人になり子供も産まれ疎遠になってしまいました。


つい先日、部屋の片付けをしていたら、なんときんちゃんから届いた手紙を3通見つけました。おそらく20年くらい前のモノだと思います。私が子供の写真を送った事に対しての返事でした。ひ孫の写真がとても嬉しいという事と、また会いたいなあ、風邪を引かすな、という内容でした。あまり字を書かなくなったので、やっとの思いで手紙を書いてくれた様子でした。


きんちゃんは80歳後半頃から認知症を発症し、高齢者施設に入居しました。私も何度か面会に行きましたが、すでに私の事は忘れてしまっていました。私がきんちゃんの顔をじっと見ていると「何で見たんだ」と、ちょっと怒った様子に私は笑ってしまいました。


きんちゃんはいろいろ忘れしまっても、施設で元気に楽しく暮らすこと11年、

最期は、老衰で眠る様に亡くなりました。天寿を全うしたのです。


私は悲しくはありませんでした。むしろほっとしています。100年近くも生き続けたきんちゃん。疲れたでしょ?頑張ったね、お疲れさま、もうゆっくり休んでいいんだよ。

きんちゃんとの想いでは、私の中で色褪せずにずっと生きているからね。ありがとうきんちゃん、また夜更かしして花札やろうね!