老い方

カットの順番を待っている間に、勉強していたのよ、と90代のS子さん。何の勉強ですか?と興味津々に聞きました。聖書よ、と。私はちょっと驚きました。子供の頃に兄が絵本のようなものを読んでくれて、それから聖書を読む様になったの、と。聖書は本当にとてもいい本よ、神様に変わってキリストが神様の言葉を伝えてくれるの、聖書を読んでいるとね、嫌なこと辛いことがあっても気持ちが平らで波うつ事がないのょ、人生の分かれ道に立 った時も決して迷わないの、と正面をむいて潔くキッパリとお話してくださいました。生きているのが申し訳ないとか、歳取るとなにも良い事がないよなどと、嘆く言葉をお話する方が多々いらっしゃいます。S子さんからはそんなマイナスな言葉はひとつもありませんでした。これぞまさしく信じるものは救われる、なんでしょうか?どんな風に老いを受け止めていくのかまだ私には実感がありません。しかし白髪やシワは確かに鏡に写って目に見えるし、決してウエルカムではありません。見た目には少しずつ老いていることは否めませんが、心に年齢などはなく私は私で、学生の頃と何ら変わらない自分がここにいます。このモチベーションが90歳まで続くかどうか分かりませんが、S子さんのように心の支え、信じるものがずっと一生変わらずそばにあれば、私もS子さんのように最後の日まで穏やかに過ごせるのでしょうか。老いは誰にでも平等にやってきます。どう受け止めたらいいのか永遠のテーマです。考えさせられました。